2022/05/20 14:34

梅雨が刻一刻と近づいていますね。
作業に集中できるので雨は好きですが、通勤時間に道路が混むのが難点です…。

さて、以前【社日塔】(社日碑・社日社)という神社にある石塔について解説したことがあるのですが、
調べている方が結構おられるのか、たくさんの方に見ていただけました。

せっかくなので今回はもっと社日塔の写真を見たい方のために、前回載せきれなかった分を公開します。
なかなか島根に来られる機会もないと思いますので、ぜひご覧くださいませ。
※画像で〇になっている文字は風化で読み取れなかった文字です※

↓ 社日塔の基本の解説はコチラから ↓



まずはもう一度、基本の形のものから見ていきましょう。
それぞれ文字は違えどいつもの五柱が刻まれています。


(雲南市三刀屋町 三刀屋天満宮)

姿も名前もオーソドックスなスタイルですね。
御影石で新しめなので名前もしっかり読み取れます。


(高岡町 高岡八幡宮跡地)

なぜかガッチリと縄が巻かれているスタイル。
御幣のついた竹といい、出雲地方の荒神さまの祀り方とちょっと似ていますね。


(雲南市吉田町 兎比神社)


(雲南市加茂町 御代神社)

2カ所とも書体が違いますが、こちらもいつもの五柱ですね。
御代神社の【魂】にあたる部分の字はどうなっているのでしょうか。
左が行書体の糸へんで、鬼部分の縦線が無くなっています。

ちなみに日本書紀では天津神に【尊】【神】を使用し、土着の国津神には【命】を使う傾向にあるようです。
倉稲魂神はその部分の解釈が分かれるので、この2カ所のようにどちらの表記もあるようですね。


(斐川町 實巽神社 ※後ろ側にずかずか回り込む度胸は無かったので写真は諦めて覗き込みました)

こちらも同じ神々だと思うのですが、風化が激しく読み取れません。
『〇〇姫命』はおぼろげながらも土へんが確認できたので、まず埴安姫命だと思います。
しかし、『大〇尊命』という神がどうにもわかりません。
【尊】(※写真では異体字)は国津神にあまり使わない字なので、大已貴命(大国主命)とは違うかもしれません。

天津神に『大元尊神』(国之常立神の別称)がおられますが、
位が高いとはいえ、土地柄結びつきが強い大已貴命を省いてまで入れるでしょうか?う~ん?
それともまさか、八上姫命を祀る神社だから気を使って!?…流石に無いか…。

お分かりになる方、情報お待ちしております!


ここで五角柱スタイルではない社日塔もご紹介。


(雲南市三刀屋町 坂本神社)

神々は変わりませんが、形の近い自然石の五方向に名前を刻んでいるタイプですね。
一見、社日塔とわからずに見落としそうになります。


(雲南市木次町 國玉神社)

一面に彫り込んでいるタイプ。それでも中心は必ず天照大神です。
このタイプは面積が限られるからか、名前の彫りが浅めで神名が読み取りにくい傾向にあります。
現地で見れば何とかわかるんですがね…メモ必須です。


(渡橋町 渡橋八幡宮)

こちらは大きめの石の一面に彫っています。
以前撮った写真がイマイチだったので最近撮り直しに行ったら看板が立っていました。
しかし、看板では『少彦名命』ではなく『少名持之命』になっていますね。
他では見たことない表記ですが、神社に伝わる資料ではその神名になっているのかもしれません。

実は見切れていますが、この左横にも小さな社日塔があります。



それがこちら。
立方体の3面に神名が刻まれています。
『天照皇大神』の下にももう一文字あるようなのですが読み取れませんでした。


そして、次は神々の名前が異なるタイプ。


(大社町 阿須伎神社)

埴安姫神が『土御社神』となっています。
あまり聞いたことはありませんが、埴安姫神と同じ土の神様なのでしょう。


神々の名前が記されている社日塔を見てきましたが、

そもそも、神名の無い社日塔もたくさんあります。



(雲南市木次町 子安八幡宮 【社日大神】)


(日下町 久佐加神社 【社日】)


(荒茅町 大年神社 【社日神】 元は台座の上だったのだろうか?)


(雲南市木次町 古森神社【社日社】)

石の形状を問わない分、どれも石選びが興味深いです。

↓中にはこんな変わったものも↓


(乙立町 殿川内小倉八幡宮【社日神奉灯】)

灯篭になっているタイプ。
もしくは、以前は社日塔が別にあったのかもしれません。

神名の無い社日塔は一見情報が少ないようにも思われますが、
前回も紹介した通り、彫るスペースが広くなるので下のように貴重な情報を得ることができます。

(雲南市木次町 日御崎神社【社日五柱大神】)

写真ではわかりづらいですが後ろに
【明治二十二年 三月二十三日 願主 〇〇】
と、刻まれています。

建立年月日で、社日の風習がその時期にはこの地域に及んでいたということがわかります。
この日御碕神社の場合は、かなり新しいので建て替えだと思われますが。
まだ農耕や社日信仰を重要だと考えている人々がいてくれたという証明でもありますね。


(多伎町 小田神社【五穀成熟碑】)

社日だとは名乗っていませんが、同じ立ち位置の碑かと思われます。
【村中安全 明治十有七年 〇〇〇〇】
学がないばかりに、草書体で後半が全く読めませんが明治17年の建立とのこと。



(雲南市掛谷町 狭長神社【社日大御神鎭護】)

右には【弘化四年 〇未 八年】とあります(弘化四年=1847年)
石自体は新しそうですが、前回紹介した多伎神社の1854年よりさらに前ですね。
この頃すでに雲南地域に社日塔があったということは、町や海側のほうではもっと早く伝わっていたのかもしれません。



さて、かなり数は減らしたつもりですが長くなってきたので今回はこの辺にしようかと思います。
気になる社日はありましたでしょうか?
私は久佐加神社の大胆な社日がカッコよくてお気に入りです。

郷土史としても面白いので、
また社日塔が貯まってきたら一挙に紹介しようかと思います。

写真はまだまだあるのですが10年以上前から撮り貯めしているものなので、
画質が悪かったりちゃんとメモしていなかったりで再調査が必要そうです。
そうこうしているうちに石碑はどんどん風化して読みにくく…あぁ…。

では、また。