2022/01/14 11:00

いきなりですが、神社や道端でこんな石を見たことはありませんか?



(斐川町三絡 香取神社)

こんな感じの五角柱。または、六角柱の石塔です。

えっ、無い?
じゃあ、こんなのはどうでしょう。


(飯南町加賀 八幡宮)

そもそも石碑にはあまり気を留められないかもしれませんね。

これは、【社日塔】と呼ばれる石塔です。


神社の片隅にあったりしますが特に立て札も無く、長らく正体を疑問に思っていました。


というわけで、もうお分かりかと思いますが今回はこの【社日塔】の謎に迫ります。



(雲南市奥出雲町 大領神社 合祀の際に移動してきたのか4つもあった)


社日塔は土地神を祀る地神塔の1種で、

地域によっては石に「地神」「土公」「中央」と刻まれているだけだったりもします。

上の写真のような【五神名地神塔】と呼ばれる角柱状の物は特に、山陽や淡路島、四国で多く見られるもの。

出雲地方で見られるのも大抵この五神名地神塔で、
各側面には神様の名前が刻まれています。

多少漢字の当て方が違うことはありますが、神々の名は主に下の五柱。

・天照大御神(アマテラスオオカミ)…いわずと知れた日本神話の主神、太陽神
・大已貴命(オオナムチノミコト) …大国主命の別名、農業神の一面も持っている
・少彦名命(スムナヒコナノミコト)…大国主命と国造りを行った神で同じく農業神でもある
・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)…全国の稲荷神社で祀られている稲の神
・埴安媛命(ハニヤスヒメノミコト)…イザナミ・イザナギの子の土の神
 ※古事記での表記は波邇夜須毘売神。日本書紀の埴安神と孝元天皇の妻の埴安媛が混ざっているのでしょうか?


五柱は、土(土地)や農耕に関する神々。

つまり、この社日塔は豊穣を祈願した石塔なのです。



(野尻町 大歳神社 しっかり看板まで立てているところは珍しい 神名は正面から見た配置)


そもそも社日塔の『社日』とは、雑節(古代中国の暦日)の一つで、

「春分の日・秋分の日に最も近い戌の日」を指しています。

古代中国では土の神への祭祀を行っていました。


日本でその方法を解説したのが、

『神仙霊章春秋社日醮儀(シンセイレイショウシュンジュウシャジツショウギ)』(天明元年)

という書籍。

一説には江戸時代に大飢饉が起こったことから、
中国の祭祀を日本で農耕向けに取り入れ、その方法を提唱した書籍だといわれています。



(祭祀方法を解説している図 下記より)

※『(神仙霊章)春秋社日醮儀』(京都大学附属図書館所蔵)部分※


この書籍の内容が広まっていくにつれて、各地に社日塔が建立されたと考えられているようです。
図の東西南北にまで従っているものはあまりありませんが、実際の物と形状はほぼ同じです。



(斐川町上直江 上直江八幡宮 比較的新しいので再建かもしれない)


各地域で考え方は異なるようですが、出雲地方では「社日の日に土をいじってはならない」とされたことから、
その日は農耕を休み、社日塔に供物を献上するなどして豊作を祈願していたとのこと。


しかし内容が伝聞されていくにつれて変化したのか、はたまた地域の信仰に沿っていったのか…

次の写真のように刻まれた神々が異なっていることもしばしば。



(雲南市木次町 温泉神社)

ウカノミタマノミコトと思われる部分の文字は不明瞭なので自信がないが、
大已貴命の息子である事代主命(恵比須さん)が刻まれているのは珍しい。




(大社町中荒木 恵美須神社)

五角柱が六角柱になり、氏神(その地域を守護する神)を追加している。


(斐川町直江 都牟自神社 ※斐川町には都牟自神社は直江と福富に2カ所ある)

こちらは3柱もの名前が違う。
神魂大神(カミムスビオオカミ)※この漢字は出雲風土記での表記
天御中主大神(アメノミナカヌシオオカミ)
高御魂大神(タカミムスビオオカミ)

3柱は【造化三神】というこの世をつくられた最初の神様で、
その神様たちの中に大已貴大神が肩を並べるという不思議な社日塔ですね。

他にも、天照大神の兄弟神である月読命(月神だが農耕神でもある)が入っていたり、
少彦名命が居なくなって、社日大神が正面に来ていたりと多種多様。

特に埴安姫命は変化しやすく、
対の兄弟神である埴安彦命(ハニヤスヒコノミコト)と変わっていたり、なぜか埴山媛神だったり、
埴を旧字に近づけようとしたのか、“垣”安姫命になっていたり…※旧字は日の部分が目
また、孝元天皇と埴安媛(命とは別人)の皇子である武埴安彦命(タケハニヤスヒコノミコト)が混ざっているのか、
“健”埴安姫命になっていたりもしました。

知識人の口伝や原本の写していく過程で変化したものもあるのかもしれませんね。


そして、

形状が全く違うながらも社日の神々を祀ったものもあります。

最初から2番目の写真は【社日五柱大神】や【社日大神】とだけ刻まれたシンプルなものでしたね。


(出雲市白枝町 山王神社)

こちらの神社の境内には2つの社日塔があり、片方の正面には五柱の名が刻まれている。
字が消えかかっているがおそらくいつもの五柱で間違いないだろう。
どちらも五角柱ではない。



(出雲市多伎神社)

角柱の石ではなくても、5面の再現をしようとしているものもあります。
こちらは正面に3柱、左右に1柱ずつで刻まれている。

こういったタイプの社日塔のありがたいところは表面に余裕がある分、建立年が刻まれていること。
多伎神社の社日塔には【嘉永七寅】とあったので、
1854年頃には既に社日塔の文化がこの土地まで伝わっていたことがわかります。


また、社日塔なのかも怪しいですがこんな石塔もありました。


(出雲市大社町 北荒木総荒神社)

こちらはかなり新しいもの。
正面に天照皇大神が刻まれていますが、他の神はどちらかと言えば地域にかかわりの深い神という気がします。
八百万の神と一括で刻んでいるのが、なかなか大胆ですね。
社日塔の形式だけを取り入れた、この神社独自の祀り方なのかもしれません。
ちなみに、速秋津彦命と速秋津姫命は伊邪那美命・伊邪那岐命の子です。

まだまだお見せしたい珍しい社日塔の写真もありますが、より長くなってしまうのでこの辺にしておきます。


昔は各部落で社日講という団体を組み、社日塔を前にして祭祀や直会を行っていたらしいですが、今となってはあまり聞きません。
(今なお例祭が行われている集落もあるようです)
様々な食べ物が1年中食べられるようになった現代では、馴染みがなくなったものかもしれませんね。

せめて社日塔を見かけたときだけでも、作物の実りに想いを馳せていきたいものです。
ではまた!