2021/10/28 10:06

気温も下がって秋めいてきましたね。

程よい晴れの日も多く撮影日和です。

さて前回、なんだかんだ言ったものの松江を気に入ったという芥川。
後編では、歴史的建造物と都市化のバランスの良さについて言及しています。

前回はこちら ↓

まず歴史的な史跡。


(月照寺)

「(ことに月照寺における松平家の廟所と天倫寺の禅院とは最も自分の興味をひいたものであった)」

月照寺があるは芥川が宿泊していた場所からそう遠くありません。
松江藩主のうち松平家初代~9代までが、それぞれ廟門の奥に祀られています。


(松平不昧公の廟門の装飾)

この見事なブドウの透かし彫りは何を隠そう前編で芥川に酷評された、
嫁が島の如泥石を発案したあの小林如泥の作と伝えられています。

そして天倫寺とは堂形町にある臨済宗のお寺で、境内からは美しい宍道湖を望むことができます。




(天倫寺)

芥川もこの静かな境内で心安らかにしたのでしょうか。
下から見ることはできませんが、奥の鐘楼にある梵鐘は高麗由来の物で国の重要文化財に指定されています。


しかし残念ながら、前回に引き続き新たな建築には少し厳しい目を向けています。
その代表として挙げられたのが松江城の城山公園にある【興雲閣】。




(復元された貴顕室)

明治36年に市の工芸品陳列所として竣工、大正天皇のご旅館にもなりました。

おそらく当時としては松江城の横に絢爛華麗な建物ができたことが衝撃的だったのだと思われますが、
後に貴重な明治の建築として県の指定有形文化に指定されました。
現代の人々にはレトロな魅力を持つ名所として愛されています。

しかし芥川は松江の歴史的情緒のみを愛するわけではなく、
農工銀行(松江大橋の南側にあった)といった利便性の高いものに関してはメリットがあると評しました。

他にも、街中の道路。


(堀沿いの街路)

「掘割に沿うて造られた街衢の井然たることは、松江へはいるとともにまず自分を驚かしたものの一つである。」

一部埋められたお堀もありますが、松江は城下町の趣を残しながら道路を整備しています。
塩見縄手には白壁の建物も多くありますよ。


(内中原町の街路樹)

「しかも処々に散見する白楊(ポプラア)の立樹は、
 いかに深くこの幽鬱な落葉樹が水郷の土と空気とに親しみを持っているかを語っている。」


ポプラア(ポプラ)は、日本ではヤマナラシ類・ドロノキ類を指すようです。
残念ながら撮影の日にはポプラを見つけらなかったので、それらしい落葉樹を撮影。
今も松江は街路樹と堀の水の調和を楽しめます。


(手前:センダン  中央右:松江市市景観樹木のタブノキ  一番奥に木造の筋違橋が見える)

芥川は最後に、水の都ヴェネチアを例に出して松江を評価。
そして、水の流れをこう表現しています。

「椿が濃い紅の実をつづる下に暗くよどんでいる濠の水から、
灘門の外に動くともなく動いてゆく柳の葉のように青い川の水になって、
なめらかなガラス板のような光沢のある、どことなく LIFE LIKE な湖水の水に変わるまで」



(アオコをかき分けて進む遊覧船)

この椿の実を撮影しようと堀を一回りしたものの、すでに時期を過ぎているようでした・・・。
がっくり来ていましたが、意外なところに椿を発見。



どうやら『出雲風土記』に「海柘榴(ツバキ)」という植物が多く自生するという記述があることから、
松江市の花に選定されているようです。
芥川は風土記の記述も考慮してチョイスしたのかもしれません。

次に柳の木ですが、これは各所で見られました。


お城の堀よりひとつ外側で撮影。
少し流れが速く、水が澄んできました。

最後に湖水。



確かに広い湖に出て、水がなめらかに揺れています。
映りに来た白鳥も一緒に。

芥川は前編・後編で松江の風情と水との調和を説き、自分を招いてくれた友人、井川恭へ献じました。

ちなみに井川は自著にて、芥川の為に【お花畑】という場所に家を借りたと記しています。
このお花畑は、松江城の西。現在の松江市内中原町あたり。
大昔に、薬草畑があったことからそう呼ばれたそうです。

今もお花畑通りという場所が、県立図書館の西側に残っています。




さて、この内中原町の家ですが、実は芥川が来松する1年前に他の文豪が暮らしていました。

それは、志賀直哉。

次回は、志賀直哉の見た松江を紹介します。
ではまた。


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『松江印象記』からの引用は、『羅生門・鼻・芋粥」』芥川龍之介(角川文庫、角川書店)による。